紙漉き業界のお話を聞くと、和紙なのに原料が外国製だったりすることがあります。
それはもう高齢で原料処理が難しいとか、品質があまり変わらないなら安価なほうが良いとか、食べていくためにやむおえないことなのだろうと思います。
私の場合は、体力も腕力も衰えを感じる頃に始めたのですが、漉き方や加工の方法は残されていないので模索しています。
そういう状態で閉伊川紙を辿るのであれば、原料だけは地域に残る楮を使いたいと思いました。
地域に残る楮を伐らせてもらいながら、根っこを少しずつ移植しました。
地元産がまだ不足だった2011年ごろは地元産と、高知県の原料商から求めた土佐楮を混ぜて使いました。
いつか宮古産楮とえばって書ける日が来て宮古産楮100%の表示にできたら…と思っていたのですが、宮古市鴨崎町内の畑は楮と相性が良く、すくすく育って増え、2014年には「宮古産100%」の表示ができるようになっています。
技術を受け継ぐことができなくて、原料までどっかから持ってきたら、閉伊川紙のこと胸張って伝えることができないように思っていましたが、宮古産100%で作れることは心のよりどころでもあります。
2017/01/11記